冠微小循環障害について
本研究会代表者である下川教授は、これまで九州大学、東北大学での研究にて、冠微小循環調節の分子機構について報告してきました。本項では下川教授らによりこれまでに明らかとされてきた内皮機能調節因子と血管平滑筋調節因子につき解説します。
血管内皮細胞は、内皮由来弛緩因子 (endothelium-derived relaxing factor: EDRF) と総称される血管弛緩因子を産生・遊離して、血管恒常性を維持しています。EDRFには3種類の因子があり、プロスタサイクリン(prostacyclin: PGI2)に代表される血管拡張性プロスタグランジン類、一酸化窒素(nitric oxide: NO)、内皮由来過分極因子(endothelium-derived hyperpolarizing factor: EDHF)の順に発見・同定されました。動物種や臓器によらない普遍的な現象として、これらEDRFの血管弛緩反応への寄与度は血管径に応じて大きく異なることが下川教授らの研究により明らかにされました。プロスタグランジン類は血管径によらず血管弛緩反応に一定に作用しますが、一方、NOは比較的太い血管における血管弛緩反応に大きく寄与します。血管径が細くなるにつれて血管弛緩反応への寄与はEDHFが大きくなり、細動脈(冠微小血管などの抵抗血管)ではEDHFが主体となって、生理的なバランスが取られています(図2;文献5)。従って、冠微小循環障害における内皮機能不全を考慮する際には、NOのみならずEDHFを念頭に置く必要があります。EDHFは、動物種や血管床によって異なりますが、下川教授らにより、ヒトEDHFの本体の一つが、血管内皮から生理的濃度で産生される過酸化水素 (hydrogen peroxide: H2O2) であることが世界に先駆けて同定されました(図3;文献5)。これまでに、冠微小循環ではH2O2が血管拡張性物質として主に機能し、冠循環の自動調整能、虚血再灌流後傷害に対する保護、頻脈誘発性の代謝性血管拡張反応などの重要な働きを担うことに加えて、微小血管狭心症患者の末梢血管(指尖細動脈)において、NOとEDHFを介した血管拡張反応が著明に低下することもわかってきました。つまり冠微小循環障害患者さんは、冠動脈のみの障害ではなく、全身性の微小循環障害を有している可能性があると考えられます。
図2 3種類のEDRFの内皮機能への関与度合(文献5より引用): Prostacyclin(PGI2)は血管径に関わらず軽度の関与をしているのに対し、一酸化窒素(NO)は主として径の大きい血管で重要な働きをしており、内皮由来過分極因子(Endothelium-derived hyperpolarizing factor, EDHF)の役割は血管径が小さくなるほど大になる。
安静時狭心症に代表される冠攣縮性狭心症は、心臓の太い冠動脈の血管平滑筋が一過性に過収縮することでおきることが主な機序です。これまでの基礎的・臨床的研究から、血管平滑筋の収縮を促進するスイッチとして低分子量GTP結合蛋白Rhoとそのエフェクター分子であるRho-kinaseが冠攣縮の発生機序において重要な役割を果たしていることが本研究会代表である下川教授らによって、明らかとなりました(図4;文献5)。血管平滑筋の収縮と弛緩は、ミオシン軽鎖キナーゼ(MLCK)活性とミオシン軽鎖フォスファターゼ(MLCPh)活性のバランスにより決定され、ミオシン軽鎖(MLC)のリン酸化が中心的役割を果たします。古くからこれらは細胞内Caイオン濃度によって調整されることが知られてきた一方で、上記のRho-kinaseは細胞内Caイオン濃度に依存せず、血管平滑筋の収縮弛緩を制御することが分かりました。Rho-kinaseは、MLCPhのミオシン結合サブユニットをリン酸化することによりその活性を阻害する結果、MLCK/MLCPh活性のバランスが崩れ、MLCのリン酸化が亢進することで血管平滑筋が収縮することが判明しました。心表面の太い冠動脈が寄与する冠血管抵抗は全冠血管抵抗のわずか5%程度といわれており、冠微小血管により発生する血管抵抗が心筋血流調節の中心的役割を果たしています。このことは、冠微小循環の調節が障害されることにより、太い冠動脈の狭窄や冠攣縮の有無にかかわらず心筋虚血が惹起され得ることを意味します。
図4 冠攣縮における血管平滑筋過収縮の分子機構(文献5より引用):(A)血管平滑筋過収縮反応の分子機構の中心的役割を担うのはRhoキナーゼによるミオシン軽鎖フォスファターゼ(MLCPh)の阻害を介したミオシン軽鎖リン酸化の亢進である。(B)冠攣縮性狭心症の患者において、アセチルコリン(ACH)で誘発された多枝の冠攣縮がRhoキナーゼ阻害薬ファスジル(Fasudil)の前投与により抑制された。(C)冠動脈バイパス術後の、カルシウム拮抗薬(CCBs)でも亜硝酸薬(ISDN)でも難治性であった冠攣縮がファスジル(Fasudil)の冠動脈内注入により抑制された。(D)微小血管狭心症の患者において、アセチルコリン(ACH)で誘発された虚血性心電図変化がRhoキナーゼ阻害薬ファスジルの前投与(F+ACH)により抑制された。
冠微小循環異常の原因として、上記4-1)に述べた血管内皮機能障害に加えて、もうひとつの大きな要因が本項で述べた血管平滑筋機能不全と考えられます。最近では冠攣縮性狭心症と冠微小血管拡張障害である微小血管抵抗指数高値の合併が心予後の悪化と関連していることが本会代表者の下川教授らにより東北大学から報告されました(図5;文献6)。その共通した機序としてRhoキナーゼの機能異常があることが想定され、本研究会よりそのエビデンスを発信していくことを目標の一つとしています
図5 心表面冠攣縮の有無と微小血管抵抗指数高低による長期治療経過の検討(文献6より改変引用): 対象患者を心表面冠攣縮(VSA)の有無、微小血管抵抗指数(IMR)の高低(カットオフ値=18)で4つの患者群に分類して、複合心血管イベント(不安定狭心症や心筋梗塞発症による入院、心臓死など)発生率を検討した。心表面冠攣縮かつ微小血管抵抗指数高値を合併した患者群(VSA+,IMR高値:赤線)では他の群と比較して、有意に複合心血管イベント発生率が高かった。
参考文献
5) Eur Heart J 2014;35:3180-93
6) J Am Coll Cardiol 2019;74(19):2350-60
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