[開会挨拶]

武内 和彦

IATSS会長
公益財団法人 地球環境戦略研究機関(IGES)理事長
東京大学サステイナビリティ学連携研究機構(IR3S)機構長・特任教授

IATSSの武内和彦教授が開会の挨拶を行い、講演者、パネリストおよび来賓各位ならびに関係団体に対して感謝の意を述べた。IATSSは過去40年間にわたって交通安全の調査に携わり、この分野における劇的な変化を目撃してきた。現在、交通事故による死亡者の数は年間120万人を超える。

そのため特に新興市場において、気候変動、持続可能な都市開発、社会格差など、その他の重要な国際問題と並ぶ大きな課題となっている。IATSSでは、このフォーラムのテーマである、交通安全に関する社会的および文化的背景を踏まえ、世界的な安全、交通文化、超学際性、協力という4つの視点を取り上げている。

またIATSSは、知識を広く共有するため、超学際的な方法で運営されている。こうしたグローバルな課題に対する協力と共有は、世界的な交通安全に対して有益なものである。

 

[趣旨説明]

大口 敬

IATSS会員 / 国際フォーラム実行委員会会長
東京大学生産技術研究所教授

国際フォーラム実行委員会会長の大口敬教授が、まずIATSSの4つの基本原則と、そのための超学際的アプローチとが、交通安全に関わる全ての者にとって有益であると述べた。次に、GIFTSが前年に取り組んだ、総合的な交通安全の設計、主要都市における交通網の歴史的進化、「Vision Zero」へ向けての新しいステージ、これら関係各国からの報告などのテーマについて説明があった。

大口博士は、シンポジウムで開催されるパネルディスカッションの講演者と、そこで取り上げるテーマを紹介した。テーマには、交通文化における公共空間、空間設計、交通文化の違い、公共空間である路上などが含まれている。

 

[基調講演]
藤森照信

建築史家、建築家

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江戸東京博物館館長の藤森照信氏はまず、道路と交通安全には、自分たちが暮らしている社会が持つ文化が反映されていると述べた。藤森氏は、路上で見られる多くの魅力的な現象に対して非常に関心を抱き、「路上観察学会」というグループを設立した。路上観察学会の会員は、それぞれが1970年代から独自に路上の観察を行っていた。藤森氏は、数年分に及ぶ会員たちの写真を紹介した。

路上観察学会の写真には、会員が特に関心を寄せている、人工物であるマンホールの蓋の写真や、路上で見かける動物たちの写真があった。その他に、どこにもつながっていない階段などの人工物の写真も紹介された。路上観察学会は、窓枠、郵便ポスト、子どもの遊び場、門や壁などに表現された富士山は、葛飾北斎が描いた富士の景観を再現したものだとも言っている。注目すべき別の人工物として、「サンドイッチ・ハウス」の例も取り上げられた。これは、現代の高層ビルの間にはさまれるように立っている小さな伝統的家屋のことである。写真には日本の建築が持つ、その他数多くの特異性が示されていた。

路上観察学会ではそのほかに自然も調査テーマとしている。つたに覆い尽くされた家など、植物が育ち過ぎて特定の建築物を覆ってしまった例が紹介された。盆栽という日本文化は、街並みを形作る木々にも表現されている。またある時には、自然そのものが、風などのプロセスを通じて、建築物のような木々を作り出すことがある。日本で暮らす人々は、路上や、靴の中や、やかんや、水道の蛇口に小さな木を植えることがよくある。公共の場で植物を育てることは、日本ではよく見かける習慣であり、排水溝や自転車で植物を育てていることさえある。また水廻りは、創造性に富んだ興味深い場所の一つであり、水を引いてくるのに数多くの蛇口や排水管が使用されている。

路上観察学会の会員の発表には、持ち主の創造力のはけ口となった郵便箱と家の例があった。踏み段のなくなった階段や、道端に沿って引かれた線が、どこまでも延びていたり、おもしろい模様に描かれたりした道路の例もあった。日本の住宅所有者の中には、石の車止めポールの塗装に、創造的努力を傾けている者もいる。路上観察学会の会員は、過去とのつながりを示す、陰影や、路上の古い遺物や、家々を強調するように写真を撮影していた。路上では、現代美術の作品を見かけることがある。それは、対比色を用い、奇妙な抽象的な場面を描いた有名な作品を連想させる光景である。

路上観察学会のこうした活動や発見によって明らかにされたユニークな側面は、ほかの人であればほとんど気付くことがない。なぜなら普段の生活で我々は、街を歩いているときでも何かに気を取られているからである。路上のありふれた事物に注意を向けたのは、1920年代の今和次郎が最初だった。今は、設計者として建築の仕事を始めたが、次第に一般の人々の家を研究するようになる。その後1920年代になって、同僚が興味深いランプや排水溝の研究を始めた。そして関東大震災後、今は震災後に建てられた初歩的な住まいを調査するため、東京を訪れた。こうした計画外の家屋は、東京の建築で使用されている芸術的表現の嚆矢になったと言う。そして今度は、今の影響を受けて、藤森氏は路上観察をするようになった。

道路における公共空間と住宅という私的空間との境界線はあいまいに引かれているだけである。藤森氏は、道路と住宅との間のギャップに関心を持っている。住民たちは、この幅30cmから40cmの空間を互いに尊重している。このあいまいなスペースを利用して、多くの人が路上で植物を栽培している。このあいまいさは日本独特のもので、パリやヴェネツィアなどの他の都市ではめったに見られない。

 

[パネルディスカッション]
司会:   佐野 充 発表資料ダウンロード
パネリスト:   藤森照信
    アリ・フザイン 発表資料ダウンロード
    ナン・トラン 発表資料ダウンロード

IATSS顧問である日本大学の佐野充教授は、交通における比較文化をテーマとして取り上げ、ディスカッションを始めた。日本では、交通文化の変化は奈良時代から起こっている。したがって、世界各地のさまざまな経済圏や文化的影響の中で交通文化は変化している。佐野教授からパネリストの紹介があった。フザイン教授とトラン氏は、それぞれの視点から意見を述べることになっている。藤森氏は、国や、交通や、公私の間にあるギャップについて、自分の見解を述べた。このギャップは、交通規制と一般市民との間にも存在すると思われる。佐野教授は、このギャップは必要なものであり、文化が生まれたのもこのギャップのおかげであると考えている。

 

カイロ大学のアリ・フザイン教授は、「コインの反対側」からみた交通文化、すなわち道路を利用しない利害関係者の慣習文化について説明した。交通安全は、道路の利用者や近隣住民の交通文化、それらの人々の特徴、振る舞いや行動と密接に関連するものである。しかしながら、交通文化及び交通文化が道路の安全性にもたらす影響は、道路利用者のみに起因するものではない。例えば交通工学関係者、市/国の政策決定当局者、教育機関やメディアなどの、「道路利用者」以外の交通関連利害関係者の「慣習文化」もまた、全て交通の安全性に影響を及ぼしている。この考え方は、全体論的な見方を軽視し、より広範囲な制度を適応して道路利用者にのみ焦点を置いている発展途上国には、特に効果がある。

 

発展途上国の中には、市当局に資格を持つ交通工学者が存在しない、もしくはその職自体が存在しない国もある。また交通工学者は在籍するが、当局から独立した存在ではなかったり、その役割が別の役職(例えばシティ・プランナーや道路工学者、交通警察など)に取って代わられているようなケースもある。したがって多くの市が、交通工学における専門的な役割を果たせていないのだ。

 

関連する政策決定コミュニティは交通工学者という職業を知らないため交通管理において専門的な知見に立たない政策や法律を支持してしまうし、学校教育で使用される指導用資料は専門的な交通工学者からの評価やアドバイスに欠け、マスコミは(交通工学に関する)非専門家の意見を擁護することで人々や当局に誤った情報を伝えてしまうのだ。その結果、こういった道路利用者以外の多数の交通における関係者の無知な慣習文化が、交通の安全性に大きな影響を及ぼすことになる。

 

こういったことを念頭に置くと、発展途上国の路上事故は道路利用者の「故意の」不法行為をもたらす無知の交通文化と、道路利用者の「強制的な」不法行為をもたらす道路利用者以外の交通関連利害関係者の無知の慣習文化に直接起因している。「故意の」不法行為は、危険な道路使用を反映したものであり、このことは先進国のいくつかの都市でも存在する。強制的な不法行為は、危険な道路使用を余儀なくされることである。例えば、専用道路及び交通工学に基づく設計の欠如、不十分な歩道(幅が狭く、路面はでこぼこで、露店、カフェ、駐車場などによって占領されている)、当然のように信じられない量の荷物が行きかい、バス、トラック専用時間が大幅に拡張されている現実などである。フザイン教授はいくつかの都市の「故意」と「強制的」な不法行為の写真を示し、道路を実際に使用する人々以外の関係者の不適切な既存の文化を無くすことが、道路を実際に使用する人々の不適切な振る舞いを是正することに比べ、いかに困難であるかを強調した。

 

考え方と発展途上国における関係者(市長や政治家、伝統的な団体等)の全く専門性を欠いた古くからの慣行を変えることは、多くの団体による多くの行動を必要とする。例えば、Syndicates of Engineersは、交通工学の専門家やその組織を保護し、維持していくために必要な変更を主張して、適切な行動をとるべきである。また大学は、輸送や交通工学、さまざまな学者の企画を通じて、若い世代に交通工学を教え、その技術者を育てるべきである。また、市の行政執行者や政治家には、このような技術者を雇用し、彼らの生活を成り立たせることが、交通の問題を減少し、その安全を向上させるために不可欠でることを、認識させて、分かりやすく説明する必要があるだろう。

 

現実の問題に対する国際的な技術援助は、その土地の交通工学の専門家による活動を支援し、また、その土地の状況に適応したものでなければならない。本来、援助とは国が行うものであり、ドナーに委ねられるべきではない。道路使用者の意識を変えるには、交通工学者が、道路での振る舞いを改善させるための気づきのプログラムをデザインし、実行に移すことが必要である。市や政府は、継続的に資金を提供する必要があり、メディアはこのプログラムを持続的に伝える必要がある。そして、NGO、市民社会、高齢者や若者たちのボランティア等は、「現場での役割」を持続的に果たす必要がある。それは、交通文化と安全の向上を目的とした適切な道路での行動を説明することである。


WHOのナン・トラン氏、グローバルな視点から交通安全について語った。現在、公衆衛生の問題として、交通事故死が原因で亡くなった人は、HIVやエイズや、特定の疾病よりも多く、全死亡者の2.5%に上ることが取り上げられている。SDGなどの国連の文書は、交通安全の解決策を実施するための強力なツールとなっている。同様に、交通事故死に関する科学も発展を続けている。これら2つの要因が、交通事故死の減少に寄与しているはずである。

 

ところがデータを見ると、世界健康推計において、ほとんど進展は見られない。既存の解決法が実施できないために、SDGの目標を達成し、交通事故による死者数を減らすための道は閉ざされた状態である。ではなぜ実施が難しいのだろうか。これは道路交通の安全に関してだけではなく、多くの分野で経験する難しさである。

 

実施は変更に関するものであり、その他の目的に追加して実行されるものと見なされることが多い。知識と行動とのギャップは、問題を解決する方法としてとらえられることが多い。確かにそうかもしれないが、変更はプロセスではなく事象であるため、時間がかかる。もう1つの要因として、実施がいくつものシステムの中で行われており、他のシステムから独立していないことが挙げられる。

 

正しいソリューションとは、問題に対処するだけでなく、ソリューション全体にも対処するものである。交通事故死を解決するための、このシステムアプローチを実現するには、交通安全の見方を、事故から安全なシステム全体へと変えることを検討すべきである。環境とシステムの全体を変更することが可能になれば、交通事故死を防げるようになる。交通安全を、リスクとの闘いであるかのように話すべきではない。安全性を価値あるものとして考えるべきである。人間は交通安全について、飛行機の安全ほどには重視していない。したがって、安全を、介入することではなく価値あるものとして考えるようになれば、交通事故死を減らすことが可能になる。

 

司会者の佐野教授は、パネリストからの発表を振り返りつつ、安全とは、人命という資産を守るための価値あるものであると強調した。そして藤森氏の言うあいまいなギャップに関して、自動車とは異なる規範に従う自転車でも見られることだと述べた。自動車に関する規則は欧米でつくられたものであり、自転車も車輌として同様に扱われた。しかし、日本では、自転車は歩きを補完する交通機関として扱われてきたため、道路をどちらの方向にでも走行することができ、歩道を走ることもできるものとして認知されており、車輌なのに自動車とは異なった曖昧な扱いをしている自動車との接触事故の発生セーブに役立っているのかもしれない。

 

藤森氏は、美観を向上させるために、公共の場に看板やポスターを掲示して、行動規範を促すことがよくあると述べた。交通安全は、歩行者が利用する歩道について再考することで改善できるかもしれない。したがって歩道は、好ましい場所と見なされるべきである。これが可能になれば、交通に対する関心を高めることにつながる。歩行者の空間を魅力的にすることは、子どもの関心を引きつけることになる。こうした世代が成長していくのにつれて、道路全体の安全性も向上していく。植物に関して言うと、日本の側溝は、道路内に設けられた個人の場所であり、そこでは植物がよく栽培されている。スペインなどの国では、自分で栽培した植物を道路脇に堂々と飾っているが、こうすることで、道路利用者にとっての楽しみが全体的に向上する。さらには遠方からの関心を引くことで、ほかの地域や都市に影響を及ぼす可能性がある。これは、「広場」という発想を、あらゆる歩道にまで拡大することにもなるだろう。

 

司会者の佐野教授は、藤森氏の意見を要約し、歩き路と集う広場というギャップという発想による交通安全の考え方を出発点とする交通事故防止に焦点を絞った。そして藤森氏の発想について、トラン氏から意見を求めた。

 

トラン氏は、道路利用者の安全に対して環境が影響を及ぼすということに同意した。ニューヨーク市のように、歩行安全のための空間を増やして、改めて歩行者に領域を割り当てることで、全体的に健全性が促進されていることを示した。これは交通安全問題に対応するための重要な方法であると指摘した。

佐野教授はフザイン教授に対して、視点を変え、専門家の活用を通じての交通の安全性の向上について、特に組織が果たす役割について尋ねた。 

 

フザイン教授は、NGOは、地域社会に広げるための重要な手段になると主張した。地域とのつながりや助成金のおかげで、NGOは、地方自治体とは違ったユニークな立場を占めることになる。ボランティアや大学生に対しては、交通安全に関わり、教育を通じて地域社会とつながりを持つように奨励することが望ましい。すでにNGOは、多くの健康問題において順調に活動をしているが、交通の専門家と協働すれば、交通工学者は、より良いシステムを設計して、一層多くの成果を残すことができるだろう。

 

佐野教授はパネリストに対して、世界各地の交通安全の文化的側面について質問した。アンケートデータによれば、歩行者の横断に関しての回答に、先進国では、横断歩道が設けられていない場所で横断する歩行者が多いことが示されている。ところが発展途上国では、ほとんど横断しないという異なる結果が出ている。興味深いことに、交通安全に関して得られたアンケートデータの回答は、実際の行動とは異なっていることが提示されている。これは、発展途上国の方が、規則に従うことを社会通念上、絶対的に求められているという暮し環境が存在しているためであり、回答においては、規則に従って暮らしているように見られたいという思いが強く出たためである。つまり、実態とは異なった回答結果が意識的に導き出されてということである。したがって、各国で施行されている規則の拘束の強弱が、調査の結果に影響を及ぼしているといえる。先進国でも開発途上国でも、同様の交通安全問題を抱えているということである。これは発展の度合いとは無関係である。危険だとわかっていても、個人的な判断で大丈夫ならば、横断歩道がない場所でも道路を横断している。我々が日常生活で規則に従わないとすれば、規則は何の役に立つと言えるだろうか。状況によっては、交通法規に従わないことの方が当たり前である。この状況に対して、どんな改善策や対応が可能だろうか。 

 

フザイン教授は、横断歩道のない交差点は先進国と開発途上国の両方で見られるが、頻度の違いがはっきりと現れているのは、人間の本性の問題であると説明している。メディア、学校、NGOは、本来地域社会において活動をするものであるため、人と密接に関わっている。したがって、人々を教育するのに最適な立場にあると言える。自治体や政府もまた、彼らの活動を支援しなければならない。

 

トラン氏は、スウェーデンのVision Zeroのアイデアについて言及した。人は誤りを犯すものだから、その誤りを回避するようなシステムを作るべきだと言うのである。人間の本性は不完全なものであるという認識は、システムを構築する上で不可欠である。この場合、その不完全さを悪い行為として定義するのではないという点に集中すべきであると述べた。

 

フザイン教授は、人間の本性は不完全であると認めることは、プレゼンテーションのなかで触れた道路利用者の強制された不法行為という自身の論と同義であることを改めて確認した。

 

佐野教授は、交通安全の教育にもGIS(地理情報システム)に関する教育を組み込む必要があると語った。教育する場合者は、地域社会で交通安全に携わる専門家に対して、地域に暮らす人々の日常的な行動を交通安全教育に反映しさせるために、GISによる統計処理と地図化によって、導かれた結果データを使用して交通安全政策を講じることが望ましい。GISは、政策立案者も活用する必要がある。作成されたデータは、大いに活用されるべきである。佐野教授はパネリストに対して意見を求めた。

 

フザイン教授は、自治体はデータを持っていないか、あっても、不適切なものしかないか、あるいはデータを活用していないと述べた。それは、交通工学の専門家や研究者のデザインや事故分析を政策を決定する際のサポートとして使用していないことも意味する。このことらも分かる通り、データは適切であり、継続的に更新され、専門家、学者、研究者等に共有されなければならない。

 

トラン氏は、交通事故死に関するデータは、さまざまな情報源から収集されることが多いため、結果的に情報源が不完全になることを指摘した。多くの国では、病院、警察、市がデータを持っているが、これらのデータを収集する必要がある。問題の重大性が無視されることは多い。警察のデータと保健に関するデータとで、極端な違いが生じている可能性がある。この違いがあるために、政治家が問題の実際の重大性を無視する結果につながる。

 

フザイン教授は、トラン氏の意見に同意した。続けて、問題をより深く理解するために、怪我と死亡の定義を統一して、意味のあるデータを作成するべきであると付け加えた。

 

佐野教授は、この不適切なデータがどのように使用されているかについて質問した。現在収集されている交通事故に関するデータをリンクさせるのが最善策であると提案した。

 

フザイン教授は、データは収集した時点で単純化する必要がある。そのためにも関係者は電子データで収集する必要があり、収集、処理、送信のプロセスにおいて、新しい技術である「ビッグデータ」を採用するべきである。

 

トラン氏は、紙ベースのデータ管理システムを廃止することに同意し、その代わりとしての携帯電話の使用を提案した。このような技術革新であれば、確かに低中所得国でも利用が可能である。

 

佐野教授は、会場からの質問や意見に対するディスカッションを始めた。

 

クルマ社会を問い直す会の佐藤氏は、各国における専門家の創出、先進国の死亡率の低さ、その他の成功事例について話し合ったことを述べた。しかし、こうした成功事例があるがために、かえって重要な分野が見過ごされている。交通事故が、HIVとエイズなどの病気と同じくらい、メディアから注目されることはめったにない。交通安全の犠牲者が無視されているが、こうした人たちを追悼しなければならない。トラン氏は、「交通安全の敵」というフレーズを使用したが、交通安全の敵というものは、実際には存在しない。データは重要だが、被害者には個別に対応する必要がある。こうすることで人々の考え方が変わるかもしれない。

 

佐野教授は、パネリストが会場からの意見に対して要旨をまとめながら対応すると述べ、さらに会場からの質問や意見を求めた。

 

自動車技術会の北原氏は、交通安全に取り組むのは無益であると強調した。パネリストは、データの使用やシステムの改善について、さまざまに回答した。しかし政府機関は、非難を避けるためにデータを隠すと思われる。事故を減らすことが問題を解決する唯一の方法である。そしてこの中には、懲罰的な措置も含まれる。これはつまり、文化によっては誤りに対して非常に寛容であることを意味する。さらに、試行錯誤は継続的な改善につながる可能性がある。

 

佐野教授は、世界道路交通犠牲者の日について特に取り上げた。そして、万能の解決策はなく、このことについては時間をかけて検討する必要があることを述べた。その後佐野教授は、パネルディスカッションで出された意見のまとめを行った。

 

トラン氏は、交通安全に関する会場からの経験談に対して、未来の社会では、人々は危険に近づけないようになると回答した。人類は、安全と空間とに関する総合的なアプローチについて再考することで、この問題の解決を可能にする。日本では1960年代から、子どもが道路に近寄らないようにしたり、空き地を再利用したりして、交通安全を向上させる目的で、公園が利用されていた。

 

フザイン教授は、以下のようにまとめを述べた。発展途上国の利害関係者は、経験則によって作られた全く機能していないルールが、いかに人々の道路上での過ちを誘発しているかを本当に理解するべきである。同時に、人々が自発的に過ちを犯すことも忘れてはならない。さらに、自治体は、交通工学の専門家を雇うべきであり、彼らの独立性を保ち、交通工学に基づいた設計や分析を適切な政策とソリューションのために活用するべきである。また、高価すぎず包括的な先進的な技術である「ビッグデータ」を導入する必要がある。交通に対する正しい認識、道路における安全を学ばせることは、学校、NGO、メディア、そして各自治体の役割であろう。ただ、社会全体も問題の大きさについて意識する必要がある。発展途上国の道路安全に対する援助は現実に即したものであるべきである。援助団体から押しつけられるのではなく、各土地の状況に応じて、各自治体が主導で行うべきである。このように世界の南北で、また南半球同士でも、より多くの協力が必要とされている。

 

最後に、フザイン教授は、国際交通安全学会と重要な本フォーラムを素晴らしく企画し、運営した主催者に感謝の意を述べた。

 

藤森氏は、「敵はいない」というコンセプトに対して敬意を表した。

 

佐野教授は、パネリストや来場者に対して感謝の意を表して、ディスカッションを終了した。そして、我々の権利としての、未来の安全な道路交通環境に対する希望を述べた。

 

[閉会挨拶]

鎌田聡

IATSS専務理事

IATSS専務理事である鎌田聡氏は、多くの出席者と講演者、討議に参加いただいた来場者に対して感謝の辞を述べた。毎回のGIFTSは、比較文化という視点から交通とその安全に関する問題を取り上げたが、翌11月3日は、国際比較調査に基づくワークショップが開催予定であることが紹介され、国や地域における社会背景や文化の差に基づく対策の重要性を訴えた。

 

また、IATSSでは10件以上の研究調査プロジェクトが展開中であり、4月には恒例の研究結果報告会が開催されることに触れて、挨拶を終えた。

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